アニメの作画の魅力とは
今日、アニメーションとは日本を代表するメディア表現のうちの一つであり、世界的にも広く認められているものだ。
そこで今日はアニメの作画というコアな部分にせめて行きたいと思う。
アニメとはまず動きそのものである。
例えば歩くシーンは日常的に私たちが行っている動作であり、アニメではそうした動きを分析して、絵を書き起こしている。歩き方一つとっても、それぞれのアニメで、アニメータによって、描き方は非常に異なる。
そうした日常的な動きというのは、ごまかすことができない、実は難しい絵であるといわれている。
キャラクターが立ち上がるシーンや、歩くシーン、これらにはアニメーターの細かなこだわりが詰められ、作られている。
例えば、最近、twitterにおいて、ラブライブのキャラクターデザインをしている室田さんが呟いたことなのだが、旧劇エヴァンゲリオンのミサトさんの背動歩きがすごいとある監督が言っていた、と彼は呟いていた。
それはそのキャラが一発で怒っていることが読み取れるからだということだ。
確かに映像を確認してみると、怒っているんだな、と瞬時に判断することができる。
他にも、顔の表情の話をすると、よくアニメータの方は、目と眉が重要であるといっている。それは日本のアニメキャラの目が大きいからだとか。髪の毛もそれに連動させて、動かしたりするらしい。
それにアニメーションだからできることだってある。例えば、アクションシーンにおいて、現実的にはださいポーズも、人間が本質的にかっこいいと思うようなポーズを模索して、描くことも可能だ。そしてまた逆に、あえて部分的に形を崩すことで、アクセントを、リズムに緩急をつけることだって可能だ。
このように、アニメでは意識しない部分に多くのこだわりが隠されていて、それが視聴者側に実は気持ちよさや、作品に対する理解度というのを上げているのではないのかと、感じる。
個人的に、最近「webアニメータ」の姿勢に魅かれてきている…
twitterで広がるイラストの世界
近年、様々なSNSが存在しており、TwitterやFacebook、Instagramなど、数え上げるときりがありません。
そしてSNSは人々に大きな影響を与えています。
そのため広告宣伝においても非常に大きな存在となっていると思います。
そうした中で、Twitterでは最近イラストを手掛ける絵描きさんが非常に多く存在しています。
イラストブームが密かに訪れているのではないかと私は思います。
Twitterが台頭するまではpixivが非常に絵描きさんの間で流行っていました。
クリエイター同士がお互いの作品を鑑賞し、イラストが好きな人もまた絵を閲覧しにくるといった光景がふつうであったのです。
しかしTwitterが誕生してから、絵描きさんが多くこちらに流れ込んできた。
なぜでしょうか?
それは単純にTwitterの人口のほうが多いからだと思います。
より多くの人に見てもらいたいと思うのはいたって普通ですよね。
しかしTwitterはpixivを比べると、絵を閲覧する対象が大幅に異なります。
Twitterではイラストをみることにそれほど興味がないという人がたくさんいます。
そうした中でバズる絵というのはどういった特徴があるのか。
それは大衆にも受けやすいようなネタを含んだ作品だと思います。
イラストのことをあまり知らない方でも大いに楽しめる。
つまり二次創作でも同じことがいえるのです。
だからTwitterで人気を得たからといって、ほかで人気を得られるとは限らないのです。
そしてまたSNSで面白いと思えるのは、クリエイターに市場原理がそれほど意識されていないことではないでしょうか。
もちろん多くの人に拡散してほしいと思いながら、考えて書く人だってたくさんいると思いますが、Twitterではお金は稼げませんし、自分を宣伝することしかできません。
そうした市場原理意識が薄いなかで描く絵はどこか普段よりも自由で解放感のある絵を描くことがかのうであったり、異なった方向性で試しに描いてみたりできるという人もいると思います。
そうした自由な雰囲気がTwitterにあると僕は思っています。
ダークヒーロー 現代社会における「犯罪」と「罪」
ここ最近、SNSの普及により意識的に、無意識的に我々は他者の言説を目にする機会が増えて、その結果色々なことを考えさせられるようになった。
そこで今日は「犯罪」と「罪」について話したい。
「罪」を犯すことは果たして全て「犯罪」となりうるのか。
法によって禁じられた行為は全て等しく「犯罪」で、ゆえに「罪」となるのか。
これをもし逆手に取るならば、「合法」な行為は「罪」にはならないということになってしまう。
法で禁じられたこと、つまり「違法」な行為はもちろん大半は悪になるに違いないし、罪となるであろうが、すべてがそうであるとは限らない。
私的に「違法」行為は全て罪だ!というのはトートロジー的な思考が蔓延してしまっているのではないかと感じてしまう。
例を挙げるとすれば、ナチスドイツが全権委任法、首相が国会審議を経ずに予算案を含む全ての法律を制定できるようになるといった恐ろしいものが「合法」とされていたり、またアメリカの奴隷売買だって南北戦争前は「合法」とされていた。
上記の例から、もし法律が全て正しい、法を破るものがいればそいつらは全員悪だ!罪を犯している!というならば、それはいかがなものかと私は思う。
私が言いたいのは「法にどこまで妥協することができるのか」といったものではなく、「正義」と「法」の関係は、線引きがとても難しく、曖昧であって、容易ではないということだ。
ここからが本題なのだが、先述(一つ前の記事)でも言った通り、ダークヒーローは己の内にある道徳や、信念、掟に従っており、外部からもたらされる法律やルールに決して縛られることはなく、自由でいる存在であるのだと私は考えている。
だから時としてダークヒーロー達は社会のルールを破ってしまうことがある。
しかしそれが必ずしも罪になるとは思わない。
そして彼らが考えている「罪」と、法律上の「犯罪」は絶対的に一致するものではないはずだと私は思う。
ダークヒーローがどうしてかっこいいのか
突然ですがどうしてダークヒーローは支持され続けていると思いますか?
世の中、数多くのダークーヒーローがいますね。
ブラックジャックやバットマン、東京喰種のカネキや寄生獣の新一など、数えきれないほどいます。仮面ライダー1号だってそうです。
ではなぜこれほどダークヒーローは支持され続けているのか。
それは時代の流れも関わっています。
さまざまな事が複合化されている現代において、勧善懲悪ものはそれほど支持されなくなってきました。
なぜなら今の時代、多数の価値観が存在していて、一面に何が正しいものなのか、何が間違っているのか。もっというと、何が正義で、何が悪なのか分からなくなっています。
正義は立場によって変化してしまうし、行き過ぎた正義は狂気を生み出ししまう。
今の社会、物事を単一的に推し量ることはできないのではないのかと僕は常々感じています。
そうした中でダークヒーローを描くことはそれなりに意味があるのではないかと思います。
ダークヒーローに共通していることは、とにかく自分の信念に従って、縦横無尽に行動していることではないでしょうか。
社会の束縛にも縛られず自由に行動する。
そしてその結果、多くの人を救ってしまう。
だからこそ悪だと簡単に片づけることはできない。
それに誰しもがどこかしらに悪の心、葛藤を抱いていると思います。
ダークヒーローはそうした内面が丁寧に描かれていることが多いです。
だからこそ現実味を帯びた作品として鑑賞することができる。
そうすると不思議と親近感を抱くことになる。
社会的な善悪の価値判断とは別に、自身の価値判断で言動するキャラクターの強烈さといったらとてもしびれますよね。
ちなみに私的に好きなダークヒーローの設定は相手側の能力を兼ね備えている主人公が好きです。それこと東京喰種のカネキなんかそうですよね。
人間側からみると悪に思える存在も、実は人間が恣意的に悪というイメージを投影しているだけで、人間こそが悪なのではないか。
そうした敵サイドの視点から冷静に人間のことを俯瞰することができる存在。
そうすると話にも深みがでてとても面白いと僕は思います。
今度僕も映画作るとき、ダークヒーローでも登場させようかな。
あっ、ちなみにルフィもダークヒーローっちゃダークヒーローですよね。
ワンピースなんかも正義と悪が非常にうまく描かれていると思います!!
困った穴 ポエム part1
常に心の中に埋められない穴がある。
それは決して悲観的なものではない。
ただの穴なのだ。
埋められたら最後僕は恐らく生きることへの意味を失うのかもしれない。
でも同時に埋めなければそれはいつまでも僕の中に空虚さが満ちてしまうであろう。
そんな困った穴が開いている。
埋まらない穴が空いている。